◎ プロフィール●●●●

このサイトの管理人 伊藤正文(いとう まさぶみ)
住所 〒204-0002 東京都清瀬市旭が丘2-6-5-203
管理人の略歴 1952年、埼玉県児玉郡共和村(現・本庄市)に生まれる。1977年、東京大学農学部農業経済学科卒業。学習塾教師、出版社勤務などを経て現在はフリーの編集者・校正者。
著書及び論考
  • 『神流の落日 ―中世後期児玉地方史に関する試論―』(北の杜編集工房刊 2007年)
  • 「挫折と転進と ―宝徳・享徳期前後の大石氏の動向を探る―」(『歴史研究』第608号 2013)
  • 「上州・武州境における中世の道を探る ―身馴川及び神流川における渡河点の考察を中心に―」※(『歴史研究』第626号 2014)

※『歴史研究』第626号掲載の小論で、管理人は、(『宴曲抄』がまとめられた頃における)鎌倉街道上道の身馴川渡河点は現在の美里町広木新田と旧児玉町大久保地区を結ぶ線であったのではないかという問題提起を行った。これに対し、旧児玉町出身の歴史研究者、本田豊氏より、「大久保地区の集落形成は、児玉の玉蓮寺の東側付近に居住していた人々が江戸時代の享保期に広木新田の身馴川対岸に移住したのが始まりである。身馴川の渡河点は、大久保地区よりも下流の十条熊谷橋付近にあったのではないか」との指摘を頂戴した。本webサイトにおける身馴川渡河点の考察は、本田氏のご指摘を受けて改めて再検討を加えた、現時点における見解である。

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